2008年03月17日

3月6日

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たえのブログに遊びに来てくださっている皆さん、突然のお暇頂きまして申し訳ありませんでした。
前回コメント欄を閉じさせて頂いたにもかかわらず、別の記事にコメント残してくださった皆さん、嬉しいコメントをどうもありがとうございました。

もう少しお休みしようかと思っていたのですが、やっぱりブログが無いと、どうにも気になって・・・。(笑)
けど、今回はなんとなく重たい気持ちもあり、
でも、みんなの声が聞きたい、ブログに早く戻りたいという、なんとも複雑な心境の中、今、タイピングしています。

私事ですが、3月6日、義父が他界しました。
別にこんなプライベートな話、する必要ないのかも知れません。

ただ、たえの独り言・・・だと思って、さらっと読み流して頂けると嬉しいです。

義父は肺がんによる肺水腫が原因でした。
タバコも吸わないし、お酒も飲まない、毎日朝夕散歩をする健康的な義父でしたので、義父を知る方は皆驚かれていました。

アタシたち夫婦が義父のガンを知ったのは去年の10月中旬のこと。
余命は3か月。ガンはステージ4。
新年を迎えられるかどうかも分からない・・・という話。
あまりにも唐突な話で実感が湧きませんでした。
去年9月中旬に一時帰国したばかりで、その時はいつものように義父と楽しい時間を過ごしてきたから余計に混乱しました。

遠い外国に住んでいて、こういうとき一番辛いのは、すぐに飛んで行けないという現実。義母や家族に全てを任せっぱなしにしてしまうことでした。
そして、こういうとき一番良かったと思う事・・・なんて何もないけど、しいて言えば、遠いからこそ1日1日弱っていく義父を目の当たりにしなくて済んだこと・・・・でしょうか。

10月にガンの事を知らされた時は、てっちゃんに、1日も早く帰国して、残りわずかの時間、義父と一緒に過ごしてもらいたいと思っていたのですが、現実はそう簡単ではないですよね。
第一、まだまだ彼にとっては現実味のない話だったようですし。

電話は時々もらっていたので、毎度一喜一憂・・・ではないですが、心配する日と、安堵する日が入り乱れていました。

時々電話口で聞く義父の声は、日によって体調がうかがえるものでしたが、それでも調子のいい時は声にもハリがあって、ガン患者とは思えないほど。

義父の治療法は切開手術も放射線治療も無理で、残された抗がん剤の投与のみでした。
合計2種類の抗がん剤を試しましたが、1種類の方は体調が急変する事もなく、穏やかな作用という感じで。
でもしばらくして検査をすると、1種類目の抗がん剤があまり効いてなかったようでした。
ガンが大きく成長していたそうです。
握りこぶし大にも膨れ上がったガンが義父の一方の肺を塞ごうとしていて、もう片方の肺にもガンが転移していました。
他にも既にあちこち転移していました。
2種類目の抗がん剤を勧められて使ったのが、肺がんの為の抗がん剤である”イレッサ”というもの。
これは日本人女性には有効だそうですが、日本人男性には1/3の確率だということ・・・。
詳しくはこちら⇒患者のための抗がん剤事典・イレッサ

アタシたちは勧めたくなかったのですが、最終的には本人の意思で使ってみることになりました。
最後の最後までガンと戦いたい、一つの賭けに出た義父でした。
自宅で簡単に水で服用できるこの抗がん剤は、恐ろしく強力だったようで、義父には負担が大きすぎたようです。
服用してまだ数回足らず、どんどん義父の容態は悪化。

義兄から電話をもらった時は余命1週間。
とにかくすぐにでも帰国しないと。
電話を受けてすぐに翌日の航空チケットを手に入れ、帰国準備をしていた矢先、義父の死を知らされました。
取る物もとりあえず飛行機に乗ったという感じで、無念の再会。
アタシはともかく、てっちゃんには、まだ義父の目が開いている間に会わせてあげたかった。義父には、てっちゃんを目に焼き付けて欲しかった・・・と思うと、どうにもやりきれませんでした。
もっと早いうちに、もっと強く一時帰国するように訴えていれば良かったのかも。
アタシに一体何ができたのか。
愛する人が悲しく肩を落としている時、一体何をしてあげれば良かったのか。
ずっと横で手を握っているしかできなっかったんです。
背中を何度もさすることしかできなかったんです。

イレッサ服用後、ほんの2週間程度だったんじゃないでしょうか。
服用し始めて数日、体調が悪くなり、あまりの苦しさに途中で服用を中止したようですが、それから日々悪くなってしまったようです。

ある日お手洗いに席を立った義父でしたが、大きくぶら下がったガンが何かの拍子に肺を完全に塞いでしまい、呼吸が更に困難になりました。
その後は肺に水が溜まり肺水腫に。

肺が完全に塞がり、片方の肺は全く機能せず真っ白になっていたので、亡くなる前の数日は特に呼吸が苦しく、モルヒネか何かを投与する事で意識を散らす(ハイにさせる感じ?)ように配慮されていたそうです。
そうすることで、息苦しさが少し和らぐというか、忘れられるというか。
1〜2時間すると、また意識がしっかりしてきて、苦しくてたまらないようです。
亡くなる前は苦しいから薬を入れて欲しいと言って、入れてもらった後、気持ち良さそうにしていたそうです。
そのまま本人も少し落ち着いた状態で息を引き取ったので、優しい表情で亡くなっていました。
苦しくて険しい顔を見なかったのが幸いです。

アタシは母子家庭で育ったため、結婚してからはアタシにとって義父は義父ではなく、本当の父親ができたように思っていました。
とはいえ、最初は育ってきた環境の違いや、性格の違いなどもあり、何度もぶつかった事もありましたが、年々本当の家族としてお互いを理解し合えるようになった事もあり、去年の帰国では今までで一番楽しい時間を過ごせたんです。
ただ、おうちで何気ない話をしていただけでしたが、いろんな会話をして、義父の事を新たに知った一面もあったし、本当にすごくいい時間を過ごしたと思っていたのに。

今まで嫁として至らなかった自分を恥じています。
結婚したばかりの時、良い嫁になろうと必死で努力していたけど、度を越して、無理しすぎたんでしょうね。心がどんどん荒んでいった時期があって。

もっと早いうちから義父と向き合って、楽しい時間をもっとたくさん持ちたかった。
「今まで我ままばっかりの頼りない嫁でごめんね。過去にぶつかり合いもあったけど、本当はお父さんと仲良くしたいと思えば思うほど、焦ってしまって空回りしててん。」・・・と、ちゃんと伝えたかったのに。

義父がアタシに残してくれた最後の言葉は、「たえちゃん、ほんまに良ぉなったわ〜。」でした。(笑)

その時の会話、話してくれたのは、「たえちゃんはな〜、いつもニコニコと、花みたいに笑ってて、ものすご良い天気の時もあるのに、そう思ったら急に曇り空になってしもてな〜。最初は心配したけど、だんだんお天気が続いてな〜。花がいっぱい咲いて来て、アメリカのパーっとしたのがええんかなぁ〜。アメリカ行ったのは寂しいけど、たえちゃんが花いっぱい咲いたみたいになってくれたのは良かったわ。ほんまやで。たえちゃん、ほんまに良ぉなったわ〜。」
前からお喋りのアタシだったけど、義父がもっとおしゃべりで、会話に入れなかっただけやのに。(笑)
でも嫁になって約半分はぶつかってばかり、残りの約半分はアメリカで生活・・・だから、そう思われても無理ないですもんね。

でも、毎年短い一時帰国の中で、義父は嫁のアタシを息子であるてっちゃんと同じように、しっかりと見てくれてたんだと思うと、本当に嬉しくて、ありがたい気持ちで一杯でした。
まだまだこれから、もっとたくさん会ってお話ができると思っていた矢先だったもので、なんだかぽっかりと穴が開いてしまった感覚です。

この帰国の間に義父を最後まで見送って、オハイオに戻り、気が抜けたのか、今改めて、少しづつ寂しさが心にしみています。
でも悲しいけれど、悲しんでばかりもいられない。
そんな事では、いつもさっぱりして、楽しく笑っていた義父に怒られる気がします。
残された者は、愛おしい人を失くした事を胸に、しっかりと強く生きていかなければなりません。
上を向いて歩いて行くこと。
それがなにより義父への最高の供養になると思うのです。

アタシよりも、てっちゃんの方がもっと辛いはず。
もちろん義母はもっともっと辛いはずです。

ただ、アタシが出来ることと言えば、てっちゃんが辛い時、隣に寄り添うことくらいだと思いますが、いつかてっちゃんが笑顔で義父の思い出話が出来る時まで、アタシは義父が残してくれた言葉どおり、毎日ニコニコ、お花をいっぱい咲かせるみたいに笑っていたいと思います。
てっちゃんがそれで少しでも救われてくれたら良いな。

***************************


長々とすみませんでした。
ここまで細かい事を書くことに少し抵抗もありましたが、アタシ自身心をしっかりリセットしていきたい気持ちもあり、書かせてもらいました。
今回の事と時差ボケ真っ最中で、ちょっと変なこと書いてるかも・・・後から「もっとちゃんと書けば良かった・・・(涙)」なんてこともあるかもしれません。(笑)
でもこれはこれで、今の素直な心の中身。
文章がどうであれ、とにかく綴っておきたい。そういう気持ちを優先しました。

最後まで読んでくださった皆さん、本当にどうもありがとうございます。
次回からは、また自分に喝を入れて、いつものブログを書いていきます。
どうかまた遊びに来てくださいね。



**義父の病気の経過については、かなり省略している部分もあるので、肺がんの事、抗がん剤の事など、諸々誤解が生じる事もあるかもしれません。
今回は義父に限ってのお話ですので、何卒ご了承くださいませ。**

posted by たえ at 22:46| Comment(26) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そっかぁ、しんどかったね。
色々、今は、「あの時こうすれば...」って思う事もあるだろうけれど、お義父さんは、そんな気持ちを全部知ってると思うな。優しい顔で亡くなられてたって事だし、彼は、逝っても、みんなは大丈夫って思ってたんだと思うよ。残された近い人にとっては、本当に辛い事だけれど、いっぱいいっぱい、彼との楽しい思い出を思い出してあげる事が、供養になるって、昔祖母が突然、亡くなった時、お坊さんが教えてくれたのよ。てっちゃんもたえちゃんも、寂しいと思うけれど、いつでもお義父さんが見守ってくれてるから頑張って。ね。
Posted by mika at 2008年03月18日 00:00
はじめまして。Natsuvalleyちゃんのブログからやってきました。彼女のブログを読むのが日課だったので、無くなって寂しいので他所にお邪魔してます ^^; 大変でしたね。私も先月父を亡くしたばかりで、肉親が亡くなることの大きさを初めて実感しました。つらいですね。でも、お義父様は痛みの無い所でいつも見守っていてくださいますね。頑張ってください。こちらの世界からは見えなくても、あちらからは私たちのことが見えているんですよね。今もきっとすぐそばで微笑まれていますよ。
Posted by reina at 2008年03月18日 03:10
たえちゃん。おかえり。
今回は辛い帰国やったな・・・
私がアメリカに来てから、身内が3人も亡くなってるねん。でもどのお葬式にも行けず。アメリカって遠いなって改めて実感したわ。
てっちゃんもお父さんに会いたかったやろうにな。
たえちゃんの心。お義父さんに全部伝わってるよ。花がいっぱい咲いてるたえちゃんの笑顔、めっちゃめちゃ最高やよ!

毎日を大切に生きる。大事に大事にしような!!
Posted by yula at 2008年03月18日 10:43
たえちゃんおかえり!
辛かったね。。
身内を亡くすってホンマにポッカリと穴が開くような感じで、私も7年も経った最近、やっと人に話をできるようになったもんな・・
ウチの場合は夫がたえちゃんの立場なわけやけど、私は夫も泣いてくれたことが支えになった気がするわ。。
血は繋がってないけど私と同じように悲しんでくれることが、本当にありがたかったもん。
だから旦那さんもたえちゃんの存在はホントに心強かったと思うで!

忘れないことが一番の供養。
お義父さんが教えてくれたことがいつまでもたえちゃんの心の中で生き続けるんやろね。
そしていつもお花のような笑顔で旦那さんのそばでいてあげてください。
Posted by shinobi at 2008年03月18日 15:52
たえちゃん、おかえり!
辛い思いしてたんやねぇ。。
私は身内のホンマに大切な人を亡くして、7年経った今やっとその時のことを人に伝えることができるようになったの。
しゃべるとつらいから文章でやけどね。
だからウチの夫がたえちゃんと同じ立場なわけで、その時に泣いてくれた夫の姿がすごい心の支えになったわ。
「血は繋がってないけど、私と同じように悲しんでくれてる」ってことが本当にありがたかった。
だから旦那さんもたえちゃんの存在はすごく心強かったと思うよ!
お義父さんに残してもらった言葉を大切にして、旦那さんのそばでいつも笑顔でいてあげてね。
きっとお義父さんも笑ってくれるよ!

Posted by shinobi at 2008年03月18日 21:58
何度もごめん。。
書き込んだコメント消えてたからまた書き込んだら復活してた・・・
なんやようわからんけど、同じような内容2つもあってゴメンやでぇ〜。
Posted by shinobi at 2008年03月18日 22:06
たえさま、お休み宣言のときに、どうなされたのかと思っていましたが、そういうことだったのですね。
お義父様のご冥福を心からお祈り申し上げます。

海外に住んでいて1番つらいのは、まさにこういうことが起きてしまった時ですね。たえさまとご主人様のお気持ち、お察しいたします。
お亡くなりになる際にお義父さまのおそばにいられなかったことは、本当にお辛かったと思いますが、帰国してきちんとお別れをなさり、お義父さまのことを思い出しては言葉をかみ締め、お心の整理をなさっていることは、素晴らしいことだと思いますし、お義父さまの供養になると思います。

実は、私も昨年春、ダラスに住んでいたときに、祖母を亡くしました。両親は、私に知らせると無理してでも夫婦で帰国するだろう、それは申し訳ないと、変な気を回し、祖母の容態が一気に悪化したときも、そして、亡くなった時すら、私には一切連絡をしてくれませんでした。
妹がそれはあんまりにもKoharuちゃんが可哀想だと、こっそり私に知らせてくれたのは、お通夜が終わってからでした。
きちんとお別れの式に出られず、正式なお別れができなかったことは、今でも私の心の重荷になっています。そのせいか、ブログにも一切、祖母が亡くなったことは書けませんでした。

たえさまのブログを読んで、一周忌の法事が終わったら、心の整理をするためにも、ブログに書こうかと思えました。こんなときに言うのは妙だけど、たえさま、ありがとう。
 
Posted by koharu at 2008年03月19日 00:42
たえさん

しばらくたえさんの所に来てなかったので、
行ったらしばらくお休みします。
とのこと。何か体調でも崩したんかなとか
思ってました。

で、今日、また遊びにきたら、お義父さまの
他界のお知らせ。
ほんとに、つらかったなぁ。
きっと、去年の秋、ご病気のことを聞いたときから、どれほどショックだったんやろうって思うわ。
実は、私の父も同じ病気で去年の3月他界しました。
だから、たえさんとご主人のお気持ちよくわかる。読みながらなんか涙がでてきた。
なんか、去年、自分が経験したことを思い出しながら・・・。

確か、過去の日記で、たえさんが里帰りの時にお義父さん、デジカメを
たくさん持っていてだったか、新しいデジカメを
買ったからか、たえさんが古い方をもらったって
日記に載せていたのを思いだすわ。
そのときは、元気な様子な、お義父さんだったような記憶してます。

最後に会えなかったのは、とても残念だったけど、きっとお義父さんは、わかってくれてはるって思うし、遠くから帰ってきてくれことを
嬉しく思ってはるって思うわ。きっと遠くから見守ってくれはるよ。

いまさらながら、メルアドいれておきました。
こんなわたしでよければなんでも話でも聞けるし
落ち着いたときにでもメールください。


お義父様のご冥福を心からお祈りいたします。



Posted by いちご at 2008年03月19日 04:40
たえさん、お疲れ様。
しばらくぶりにブログに遊びに行ったらお休み宣言されてて、また戻ってきた時に捕まえようと思ってたんだぁ。まずはおかえりなさい!

辛かったでしょうに。私も同じく身内から遠く離れて暮らしてる立場で、やはり何かあった時にすぐに駆けつけられない、てのは念頭においてます。
でもね、たえさんのようなお嫁さんをもらってお義父さんは絶対幸せだったと思う。こんな風に考えてもらってるのを天国からブログで見てるんちゃうかな?笑 そして何よりてっちゃんを支えてる、て知ってるんじゃないかな?

大切な物を失ってしまった時って後からいろんな気持ちがでてきて「あぁしたら良かった、こうしたらよかった」てなりがちだけど、かえさんが本当のお父さんのように思ってただけでお義父さんは嬉しいんじゃないかな。
私も義父とはしょっちゅう喧嘩してるんだけど、憎しみ合うとかじゃなくって義父の事を考えて言ってる事から喧嘩になっちゃうんだよねぇ。そういうの、分かってるかなぁ、て考えてしまう。

天国からお義父さんは見守ってくれてると思うな、たえさんとてっちゃんがこれからも仲良く幸せに暮らしていってくれること。
辛い時だろうけど、一歩一歩前に進んでいけたらいいね!
Posted by あげは at 2008年03月19日 10:44
ブログをお休みするということで心配していましたが、
こんなことがあったんですね。。。
これを読んで私から何か元気の出るようなことを
書ければいいのですが、正直なにを書けばいいのか…

ありきたりかもしれませんが、
お義父さんはずっと二人を見守ってくれてるはず。
だからてっちゃんと一緒に
笑顔の人生を歩むことが一番の恩返しなのかな。

喜怒哀楽。
人生楽しいことばかりではありませんが、
そのいろいろな経験が
最後には幸せに変わるはずです。
Posted by kent at 2008年03月19日 12:26
たえさん、ご無沙汰しています。

お義父様のご冥福を心からお祈りいたします。たえさんのお気持ち痛いほど分かります。文章を読んで涙があふれてきました。
私も実父を10年前の3月にたえさんのお義父様と同じ病気で他界しました。当時私はここカナダで学生でした。親心からでしょうね、父は遠く離れて暮らしている娘に心配させたくない一身で、自分が病気であることを間際まで知らせてくれませんでした。母にも私が心配するといけないから黙っているようにと毎日言い続けていたそうですが、容態が悪化し、私に知らせないのは一生悔いが残るとのことで、母からの電話ですべてを聞かされたとき私はただ放心状態でした。母も相当辛かったと思います。帰国して父が亡くなるまで過ごした時間、会話した内容は今でも鮮明に覚えてます。毎年桜の咲くこの時期になると、父の死が昨日の出来事のように思えます。10年経った今では父が他界した悲しみから、父への感謝の気持ちにかわりました。大切な人を失うというのは本当に言葉で現せないくらいにつらいことです。悲しみは時間が解決すると思います。日本からの長旅等で色々お疲れかと思います。 どうぞ無理をなさらないでくださいね。

トロントより ロミママ
Posted by ロミママ at 2008年03月19日 14:02
お義父さま たえさんの事こよなく愛し 娘のように見守っていたのでしょうね。そしてこれからも。
私も父癌。後6ヶ月と母 宣告された時 気丈な母は私の体を気使い 長女の妊娠3ヶ月経ってからもう父さん駄目なのよと電話がかけてきました。あわてて即 帰国 妊娠8ヶ月にはいるまで日本に滞在。母に話したことのない話まで私だけに。父と二人で長い時間過ごしましたよ。父子(私だけではなく兄弟も)の関係 ことに思春期にはとても難しかったし日本の典型の男のように仕事一番だったし。彼は癌にだけはなりたくないと言っていたので皆で隠していました。母は日本でお産をして欲しかったようだけれど 帰れ帰れ。主人のそばで子供を生むのが一番だ。飛行機に乗れなくなる直前にフランスに戻りました。とても元気で肌も艶々.治ってしまったのかも と家族皆で想っていたのだけれど。
娘を産んで電話をかけた日は父の葬式の日でした。でも母 何も言わなかった。おめでとう。しっかり育てるのよ。
2ヶ月後母からの電話で父もう去界している事告げられました。またまた家族皆で出産後の私のことかばっていたようです。
義母との同じような痛ましい思い出も在ります。義父がなくなってから彼女最後に暮らした日々は私の家(主人は出張でいないこと多かったです) 本当に半分くらいに痩せ細って病気(心臓病)なのに頑固どうしても病院にいくこと薬を拒否した彼女。個性かなり激しく強い彼女とも色々 若い嫁の時言葉 習慣の違いでかなり衝突もありましたよ。
最後に私一人ではもう何も出来ないと思った時彼女には何も言わず救急車を呼びました。後で有難うと感謝されたけれど。何も食べられなくなった彼女が病院で最後に食べた食事は私が手作りして運んだ料理でした。
たえさんもてっちゃんもだんだん寂しくなると想うけれど頑張って下さいね。
Posted by fleur de sel at 2008年03月19日 23:41
・mikaさん・

こんにちは♪
優しい言葉をありがとうね。

ほんまに虫の知らせでもあったのか、てっちゃんが「明日帰国するから、たえちゃんパッキングしておいて。俺も今日はもう家に帰るから!」って連絡もらった後、ほぼ同じタイミングで義兄から連絡があってん。
だから余計になんとも言えない気持ちになったわ。
かと言って、最後の方はほんとに苦しそうだったみたいやし、そう思うとできるだけ苦しまないうちに早く逝ってもらった方が良いのかも・・・と思ったり、本当に複雑な気持ちやってん。

そうやね。義父との楽しかった思い出、いっぱいあるし、それをこれから笑顔で思いだしていきたいと思います。
ほんとにどうもありがとう。(笑)
Posted by たえ at 2008年03月21日 01:24
・reinaさん・

はじめまして♪

natsuちゃんの所から遊びに来てくださったんですね。
嬉しいです!どうもありがとうございます。(笑)

折角初めて遊びに来てくださったのに、こんな暗いお話しになってごめんね。
いつもは関西弁のオンパレードで、内容もあほみたいなブログなんですよ〜。(笑)
それに義父へのお悔やみの言葉まで頂いてしまって、本当にありがとうございます。

reinaさんもお父様を先月・・・。
悲しみはとても大きいと御察ししますが、今はいかがですか?
先月ということなので、まだまだ深い悲しみの中にいらっしゃることだと思います。
実のお父様ですものね。私の場合、今回主人側の父でしたし、私の悲しみと主人の悲しみは少し違うものだと思います。
やっぱり実の父を失う事の辛さは量り知れませんよね。

そうですね。義父は今痛みや苦しみから解放されて、私たちを見守ってくれていると思います。natsuちゃんとも「お父さん同士仲良く釣りでもしてるんちゃうかな〜」って言ってたんですよ。(笑)

暖かい励まし、どうもありがとうございますv
Posted by たえ at 2008年03月21日 01:25
・yulaさん・

こんにちは♪
yulaちゃん、ただいま。お返事遅くなって堪忍してな。
そやな。今回はほんまに気が重かったわ。
う〜ん、でも、気が重いのと裏腹に早く帰りたい!っていう思いもあったし、複雑やった。
祖父を二人既になくしてる私やねんけど、今回はまた違う悲しみがあったわ。
義母の気持ちやてっちゃんの気持ちを考えることが、私にとって一番辛かったのかもしれん。

えっ!yulaちゃん、こっちにいる間に3人も身内の方が亡くなってたんかいな。
こういういざと言う時にすぐに帰れないのって、アメリカと日本の距離を感じるなぁ。
今回は私らも帰れたけど、今後はどうなるか分からんわ。帰れへんかもしれん。
それを思うと、ほんとにここにいるべきなんやろか・・・って考えてしまう。
けど、自分たちの人生はどんな時でも現実やから、しっかりせんとな。

うん。yulaちゃんに何回も言うてたけど、ほんまにてっちゃんと義父、もう一度会って欲しかった。

私の心、ちゃんと伝わってるやろか。
yulaちゃんが「全部伝わってるよ」って言うてくれたら、そんな気がしてきた。(笑)
義父の最後になった言葉、「褒めすぎやで〜!」って突っ込みそうになったけど、こんな素敵な言葉を残してもらって、幸せ者やと思わなな。

yulaちゃん、お互いに毎日を大切にしような!
ほんま、ありがとう。
Posted by たえ at 2008年03月21日 02:22
・shinobiさん・

こんにちは♪
そしてただいま。(笑)お返事遅くなってごめんやで。

shinobiちゃんは身内の方を亡くしてもう7年にもなるんやね。
でも何年経とうと、大切な人の死はずっと心に残るものやしね。
いつまでも悲しまず、心に存在を残しながら少しづつ優しい思い出に変わっていかないとあかんもんな。
shinobiちゃんも強く頑張ってきたんやね。
shinobiちゃんのご主人様、一緒に泣いてくれたんや。
ご主人様の気持ち、胸が苦しくなるほど嬉しかったやろ〜。
そして心強かったんちゃう?

私?どうかな・・・。
てっちゃんが私の存在が心強いと思ってくれてたら嬉しいけどな。(笑)

優しい励ましをありがとう。
そうやね。私はいつもみたいにあほな事言うて、笑ってることしかできひんと思うから、そうしながらてっちゃんの横に置いてもらうわ。
Posted by たえ at 2008年03月21日 02:38
・shinobiさん パート2・

もっかいくれたんやなぁ。ありがとう。(涙)
ほんと、大切な人の死は、いつまでも言葉にするのは辛いよね。

ありがとう。義父が遠くで笑顔でいてくれるように、私も笑顔を忘れずにいたいと思います。
Posted by たえ at 2008年03月21日 02:38
・shinobiさん パート3・

あ、そっかそっか。
ごめんな。なんか時々このコメント欄おかしくなるみたいでさぁ。(汗)
削除させてもらっても良かったけど、今回は残させてもらうわ。
どちらもありがたい程の励ましの言葉で、選べへんからさ。(笑)
Posted by たえ at 2008年03月21日 02:40
・koharuさん・

おはようございます♪
お返事が大変遅くなりました。
義父への暖かいお言葉、どうもありがとうございます。

義父は職人でとても頑固で、でも男らしい人でした。私はkoharuさんもお分かりのようにこんな人間でしょ?似ていない部分では本当に何度も「このオヤジだけは〜!(怒)」なんて思っていたし、その反面凄く考え方が似ている部分もあって。(笑)お互いに嫌な部分も時間をかけて気持ちをほぐしていく事が、少しづつでも出来て、そして義父と心を近づけていくことができた事を嬉しく思います。アメリカにいて遠距離だったからこそ…かもしれませんが、それでも毎年義父とお話しする時間は私にとって本当に楽しみのひとつでした。嫁いでからしばらく味わった苦悩の時間、今から思えば、これも家族作りにとても大切な出来事だったと思えます。

koharuさんは御祖母様を亡くされたのですか。
ご両親がお気を使われたという気持ち、私も母に同じ事を今回してしまったので、胸の内を御察しいたします。
ただ、koharuさんとしては、すぐに知らせて欲しかった・・・と言うのが本音でしたか?うちの母は義父とも親しくさせて頂いたのにもかかわらず、変な心配をさせたくなかった事もあって、何より義父が自分の病気の事をあまり他言してほしくないと思っていた事もあり、てっちゃんと話し合って、うちの母にはギリギリまで知らせずにいようと決めていました。
亡くなった後母に連絡をしたら、凄く怒られてしまいました。
そんなところで気を使って欲しくなかったって。お見舞いの一つも行きたかったし、こんな形で知らされるなんて悲しいし情けないと言われました。済んでしまった事にしろ、これも私の中で一つ大きな間違いをしてしまって悔やんでいます。母も私と同じ家族だったんですものね。
koharuさんは亡くなった時もご存じでなかったとの事ですから、本当に無念さを募らせていらしたのではないでしょうか。

心の整理、ブログというのは日記というものを超越したものだと思っています。
こんな風に皆さんから励まして頂いたり、また「私も実は・・・」なんて経験を教えてくださったりして、書く事で自分の整理が出来るうえ、皆さんからのお話で心強くなれたり新たに気づく事もあり、学ぶ事もありますものね。
koharuさんにも心を強く、あの時のお気持ちを綴られるのも一つの方法かと思います。
少なくとも私はここでみなさんに何度も助けられていますから。
Posted by たえ at 2008年03月21日 20:46
・いちごさん・

おはようございます♪
いちごさんも去年お父様を亡くされてたんやね。
しかも同じ病気をお持ちやったんやね。
ここで私と一緒に涙してくれて、ほんまにありがとう。
義父も喜んでるわ。こんなにたくさんの方に本人の話をしてもらってるんやもん。

カメラの話、ふふふ。覚えていてくれたんやね。
ほんとに急な話やったわ。
あの時、本当にいろんな話をしてん。何泊したっけな〜?
父はすごいおしゃべり好きで、私はいつも黙って聞いてる役やったけど、仕事やら家族を思う時はすごく頑固で、絶対譲らない人やってん。でも良く言えば一途な所があったんやと思うわ。だからいちいちtoo muchなとこがあって、私もやりにくいな・・・って思うと気があってん。(笑)でも普段はおしゃべり好きな性格から、近所の人とも旅先で初めて会った人ともすぐに仲良しになって連絡をずっと取り合うような人だったし、たくさんのお友達に見送られて本当にこの人の力量みたいなものを感じたわ。

いちごさんの優しい気持ち、ほんまにありがとうね。
Posted by たえ at 2008年03月21日 21:23
・あげはさん・

おはようございます♪
そっか、来てくれてたんやね。ありがとぉ。(笑)
うん。ただいまぁ。

駆けつけたい時にすぐに駆けつけられない・・・いうのが、海外生活の中で一番苦しい状況やんね。私もあげはさんと同じで、ちゃんとその事については念頭において生活していたはずやってんけど、どうにもやりきれなかったわ。

あはは。そうかな。義父が幸せに思ってくれてたら嬉しい。
ブログ見てくれてるかな?(笑)

私も義父が義父で良かったわ。この人が私のお父さんで良かったって思う。
仕事も大事やけど何より家族を愛してた人やったわ。
てっちゃんと私がいつも仲良くしてることを、いつも「よっしゃ、よっしゃ」って、嬉しそうにしてくれてたんよ。「なんでもええから、夫婦が仲良ぅしてるのが一番や」って口癖みたいに言うてる人やったから、これからも義父が悲しまないように夫婦仲良く力を合わせていきたいと思ってます。

あげはさんからも義父への言葉を頂いて嬉しかったわ。
ありがとぉ。
Posted by たえ at 2008年03月21日 21:23
・kentさん・

おはようございます♪

突然のお休みだったので、kentさんをはじめ、皆さんにご心配をおかけしてしまいました。お返事も遅くなってしまいすみません。

kentさんの暖かい励まし、本当に嬉しかったです。
こんな風に言葉を一つ一つ選んで私や義父に声をかけてくださる事、心に沁みています。
ほんと、その通りですね。
楽しい事ばかりじゃない人生だけど、全てが最後には幸せになる。
私の拙い人生経験の中でも、全て無駄じゃ無いと思いながら生きてきました。
今回の経験もいつか・・・。
Posted by たえ at 2008年03月21日 21:34
・ロミママさん・

おはようございます♪
お久しぶりです。トロント生活はいかがですか?

義父へのお悔やみの言葉、本当にどうもありがとうございます。
そして一緒に泣いてくれてありがとう。

ロミママさんのお父様は10年も前に同じ病気で亡くなっていらしたんですね。
まだ随分お若かったでしょうに、お気の毒でした。
親心からロミママさんにご病気の事を知らせなかったというお父様の気持ちも辛いですが、お母様の方がもっと辛かったかも知れませんね。容態が悪化した時にお母様がロミママさんにどんな気持ちで連絡されたのか、お察しします。
お父様の事を悲しみから感謝への気持ちに変わったというお話、胸が詰まりました。
お父様も素晴らしいお嬢様に恵まれてお幸せだったと思いますよ。

私よりもてっちゃんの事を思うと辛いです。
ロミママさんのように、いつか今の気持ちが感謝の気持ちに向かってくれると信じています。
ほんとうに心のこもったコメント、どうもありがとう。
Posted by たえ at 2008年03月21日 21:49
・恵美さん・

おはようございます♪
恵美さんのお父様も御病気だったのですね。
でもお父様としばらくの間お二人で過ごした時間は大変貴重なものですね。
私もてっちゃんにはそうしてもらいたかったです。
男同志だから、そんなに言葉を交わすことはないのかもしれないけど、ただ傍にいるだけでも義父にとっては嬉しかったでしょうし、てっちゃんもそうだったのではないかと。
がんを宣告するというのは、今でも賛否両論ありますよね。義父もしばらくは皆黙っていたようです。でも本人は薄々感じていたようです。病院にもいろいろあるかもしれませんが、義父のいた病院では抗がん剤を投与するならば、患者にがんの宣告をしなければならず、その時に遠まわしにそのような事をドクターが告げたようでした。

お嬢様を出産されて、お父様がお亡くなりになって、なんだか繋がりを感じますね。
お母様が恵美さんの事を気遣ってお父様の死を数か月してから知らせたというお気持ちはお察しします。恵美さんとしては早く知りたかったですか?それとも遅くに知らせてもらう方が良かったのでしょうか。育児に専念したい時でもありますけれど・・・。
そう思うと、どちらが良かったのか難しいタイミングですよね。
お母様もきっと迷いに迷った結果なのでしょう。

お義父様がお亡くなりになった後、お義母様は恵美さんのお家にいらしたようですが、その頑固な性格からいろいろと恵美さんも御苦労があったのではないでしょうか。心臓病でお薬も通院も拒否されたとしたら、どうしていいか分からないですものね。
国際結婚をされて、それこそ習慣も文化も何もかも違うんですもの、どんなに大変だったかと思います。でも最後に恵美さんのお料理を召しあがって旅立たれたということ。もう既に恵美さんは大切な家族、お義母様にとって本当の娘さんだったんですね。何も口に出来なくなったお義母様が恵美さんのお料理を召しあがったのはすべてを認めているという事と感謝の気持ちの表れだったのではないでしょうか。

どうもありがとうございます。頑張ります。
Posted by たえ at 2008年03月21日 22:21
そうやったんや。
ブログもしばらく休みやったから
どうしたんかなって思っててん。
いつもとちがうお休みのような。
こうしてあげれば良かったと思うこと、
わたしはおばあちゃんが
結婚式の数ヶ月前に亡くなったことで、
いろいろ後悔したことがあったよ。
遠かったから、もっとおうちへ
行ってあげれば良かったとか・・
だけど、なぜかおばあちゃんが
いつも見守ってくれているような気がする。
てっちゃんのおとうさんも、
きっとすぐそばで家族を見守ってくれていると
そんな気がするよ。
これからは、てっちゃんのおとうさんの分も、
お義母さんや、たえさんのお母さんと
楽しい時間をたくさん過ごせるように
できたらいいね。
心よりお悔やみ申し上げます。
たえさん、元気になってね。
Posted by kuishinboon at 2008年03月22日 02:03
・kuishinboonさん・

こんにちは♪
お久しぶりにしててごめんね。
いつもと違うお休み・・・って気がしてくれてたんや。
ふふふ。私ら付き合い長いしな〜。(笑)
心配してくれてありがと。

kuishinboonさんのおばあちゃん、孫の花嫁姿見たかったやろね。
でもきっと天国から見てくれてるんやと思うわ。
そして毎日のがんばりも。

そやね。日本でもそう、遠くにいると、元気でいてくれてる時ってマメに顔出そうとしなかったりするやん?後から「あぁ、もうちょっと顔見せてあげたら良かったな・・・」とか、思う事多いよね。
でもその気持ちは絶対おばあちゃんに通じてると思う。
今回kuishinboonさんやみんなからたくさんの言葉を頂いて、義父も私たち家族の事ずっと見守ってくれてると思うねん。

ありがとうね。
私もてっちゃんも日々少しづつ元気を取り戻してるよ。
もう少ししたら、また遊びに行かせてもらうね。

Posted by たえ at 2008年03月23日 00:05
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